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ディーコン・ブローディ小伝
-- by day a respected citizen, by night a thief --

ディーコン・ブローディ (Deacon Brodie) ことウィリアム・ブローディ (William Brodie) は、イギリスや北米ではかなり知られた人物で、酒場やレストランの名前に使われることも多い。日本でも広く読まれているR・L・スティーヴンソン作 「ジキル博士とハイド氏」 のヒントとなったのがこの人物である。

ウィリアム・ブローディは、1741年、エディンバラの有力市民で大工・家具業を手広く営むC・F・ブローディの一人息子として生まれた。父の業をついだブローディは、自身も市議会の常任議員に選出され、エディンバラ大工・石工組合の長を務めた。後世の通称ディーコン・ブローディは、彼が組合長すなわち deacon であったことによる。

レストラン DEACON BRODIES の外壁に描かれたブローディの肖像。「昼は敬虔、富裕、声望ある市民、夜は盗賊」 とある。

早くから博奕になじんだブローディは、賭場で知り合った3人の仲間と盗みに手を染め、1787年の末には市の内外でしきりに夜盗を働いた。翌1788年3月、チェッセルコート (Chessel's Court) の税務局に押し入った一味は、盗みには成功したものの、仲間の一人が捕らえられてブローディは逃亡する。

ブローディの行方は、彼が潜伏先から出した手紙で判明した。アムステルダムからアメリカへ渡ろうとした彼は出航直前に逮捕され、1788年8月27日、奇しくも数箇月前に自分が陪審員として出席していた法廷で絞首刑を宣告された。同10月1日、エディンバラで処刑。

その死から1世紀を経て、ブローディは戯曲でよみがえる。1879年、スティーヴンソンが詩人の W. E. Henley と共著で発表した戯曲「ディーコン・ブローディ」がそれである。ブローディの二面性をさらに発展させた「ジキル博士とハイド氏」(86年)は、舞台をロンドンにとっているが、ジキル=ハイドの徘徊する夜の街はエディンバラのクローズを思わせる。
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